フローレンス・ナイチンゲールの
「リトル・ウォー・オフイス」の場所は忘れられたのか。
ロンドンのメイフェア中心部にあるアルベマール通り22番地にあるこの建物はフローレンス・ナイチンゲールの本部となった所である。彼女はここで多くの兵士たちがクリミア戦争で病によって死亡した原因を調査し、また、英国国内においても兵舎のな
かで起こった不要な死の原因を調査したのである。
1857年2月にアルベマール通り22番地から出されたフローレンス・ナイチンゲールの手紙が残っている。この年は「フローレンス・ナイチンゲール:
復讐の天使」に描かれているように、彼女の調査が目ざましい成果を挙げようとしている時期である。最近まで広く信じられていたことであるが、彼女の住居兼、事務所の場所はバーリントン・ホテルを構成しているコーク通りとオールドバーリントン通りの間の住宅街だと思われていた。これらの建物は1936年に取り壊されてしまったが。彼女の手紙には通常、差出人の住所として「オールド・バーリントン通り30番地」と書かれていたが、ナイチンゲールの伝記作家であるヒュー・スモールは、彼女は時々、郵便物用の住所としてそこの住所を使い続けた、と信じている。バーリントン・ホテルが予約超過で彼女が近くの別館に移動せざるを得ない時でさえ、である。彼によれば、彼女はいくつかの手紙には本当の住所を書いていたらしい。というのは彼女が受取人本人に出向いて来てもらいたと思っていた場合があったからである。(その中の一人は、「親愛なる・・・殿、」で始まっており、この人物とは、歴史家のシュー・ゴールディいわく、サザーランド博士だろう、とのことである。彼はナイチンゲールの助手であり、また、彼女のかかりつけの医者でもあった。)
彼女がどのくらいアルベマール通り22番地に住んでいたかは今もってはっきりしていない。しかし、それはどうあれ、ここが歴史的建築物に値するものであり、彼女が人生の殆どを過ごしたこの地域の中では唯一現存する建物である。この建物は1860年代前半より、アスプレイ宝石店の一部分となっている。1998年6月、アスプレイ社は店舗を大改装する計画だと発表した。1998年8月、文化、メディア、スポーツに関わる省庁はアルベマール通り22番地を「建築上、あるいはまた歴史上、関心の高い建築物」としてのリストに加え、それゆえ、いかなる改築も特別な許可が必要となり、フローレンス・ナイチンゲールと関係する建物として注意を払う必要が認められた。
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